「詳しいんだね、晴翔君」
素直な感想が零れた。
晴翔は大学事務員で医療関連の職業ではない。卒業大学も理工系で、無関係に思える。
「いや、その……。俺、筑紫大の理工学部卒なんですけど、自分がotherだから、卒論がそっち方面というか、WO関連で上げてて。医療についても、割と調べて」
何となく、慌てているような、しどろもどろしている。
恥ずかしいのだろうか。恥じる必要はないのに。
「だから、理玖さんの論文も、実はかなり読み込んでます……」
晴翔が顔を赤くしている。
それはむしろ、理玖の方が恥ずかしい。
(それはつまり、出会う前から僕を知っていたということで)
初めて会った時、御姫様抱っこをしてくれた時には、晴翔は理玖を知っていたことになる。あの時の晴翔に今のような恋心はなかっただろうが。
(中途半端に有名人扱いとかしないで、普通に接してくれた)
ただの一職員として接してくれたのが嬉しかった。
何となく、晴翔の手を握って包み込んだ。
「えっと、こういう治験が流入してくるくらいだし、otherの興奮剤の治験とか、治験が無理でも、伝手さえあれば日本でも持ってる奴はいそうだなって思って」
晴翔が必死に話を戻そうとしている。
こういう晴翔は珍しいなと思いながら、理玖は考え込んだ。
「正規のルートに紛れてotherの興奮剤が国内流入している可能性は、なくはないかもしれないね」
日本においては犯罪になるが、ことWOに関連した事柄は世界中の認識が甘い。加えて関連事業は開発を焦るから多少の無理もする。
「弁当に興
「GW明けに講義を無断欠席している学生の所在確認をするように事務に通達があったんです。去年も同じ仕事はあって、友達の家や恋人の家に泊まってた、みたいな話で終わったんですけど」 ありがちな話だなと思う。 大学生になって一人暮らしをしている友人や恋人の家に入り浸る学生は、それなりにいそうだ。羽目を外した学生がやらかしそうな失敗ではある。「どうしても三人だけ、連絡が取れない学生がいて、未だに連絡が取れないんですけど。調べたら三人とも同じ、かくれんぼサークルに所属していて」「かくれんぼサークル?」 思わず聞き返してしまった。「って、何をするの?」「名前の通り、かくれんぼをするそうです。時間を決めて隠れるらしいんですが、長期だと一日とか、もっと長いと三日とかで時間設定する長期かくれんぼがあるらしいです」「三日も隠れるの? 辛くないの?」 三日も同じ場所から出ないとなると、もはや籠城だ。 トイレや食事はどうするんだろうと心配になる。「基本は、鬼に見付からなければいいので、移動は自由だそうです。隠れている間にどこで何をしていても良いらしいけど、決まった敷地からは出てはいけならしいです」「鬼ごっこみたいなかくれんぼだね。長期戦は辛そう」 子供の頃に遊んだかくれんぼとは違うのだなと思う。 大人の遊びに進化しているのだろうか。「その辛い長期戦が、GW中に行われたようなんです。場所は大学の構内、連絡が取れない三人も参加しています」 ぞわっと背筋に寒気が走った。 かくれんぼをしていた子供がいなくなるなんて、神隠しみたいで怖い。「部長の学生は全員いるのを確認して帰宅したと言っているんですが、サークルの他の子に聞いても覚えていな
今年のGWは短く、大学勤務の理玖と晴翔は最初の祝日と土日を休んだだけで、いつもとほぼ同じ一週間を過ごした。 世間的にも今年は四連休程度の短いGWだったが、大学が休みを増やしたので、学生にとっては約一週間の大型連休になっていた。 その間は部活動やサークル活動、ゼミなどを大学が推奨していたので、一週間の休暇中も大学には学生や教職員が溢れていた。 だから、長期休暇明けという気がしない。とはいえ、既に休みが明けて三日は経過しているから平素に戻りつつあるわけだが。「理玖さん、大変です。事件かも」 そう言いながら研究室に戻ってきた晴翔に、ドキリとした。「ダメだよ、は……空咲君。仕事中は先生って呼ばないと」 改めて苗字で呼ぼうとすると、逆に照れが出る。 ドアの鍵が締まったのをしっかり確認して、晴翔が理玖に口付けた。「すみません。気を付けます、向井先生。でも時々、ウッカリするかもしれません」 いつもの王子様スマイルを向けられて、何も言えなくなる。(間違いなく確信犯的ウッカリだ……。恋人になってからの晴翔君は行動が大胆だ) 恋人になった事実を特に公表はしていないが、秘密にもしていない。 そのせいなのか、二人で廊下を歩いている時、普通に手を繋ごうとしたり、後ろから抱き締めたり、晴翔の行動は周囲に気付いてもらいにいっているなと思う。 WOという第二の性の発見以降、同性でも妊娠出産できる事実から同性婚が認められた。そのお陰もあって、同性カップルは昔ほど稀有な目で見られなくなった。 とはいっても、まだまだ珍しい類なので、一般的とまでは言い難い。「理玖さんは、俺と恋人だってバレるの、嫌ですか?」 捨てられた子犬のよう
北欧では、生活の中に魔法使いが存在する。 数々の薬の調合、薬と毒の見分け方、料理を美味しくする調味料の配合、畑を肥やす土の作り方、水を濾過する方法。そういう手法を魔法使いが人々に伝授してきた。 科学が台頭した現代でも、魔法使いは生活の中の隣人である。 「魔法使いの魔法は様々だけど、rulerたる魔法使いは、発狂した人を一瞬で正気に戻したり、強姦を止めたり、相性の良い者同士を引合せたりする、いわゆる性に関わる犯罪や揉め事、相談を担っている場合が多かった」 性に関する営みや悩みもまた、深く生活の一部だ。 誰にでもはできない相談も、解決する手段を持つ魔法使いになら話せる。 「|彼《か》の地方の人々が魔法使いと呼ぶ存在の中には、今の僕らがrulerと呼ぶ存在が確かにいて、第二の性を持つ人々の悩みを解決し、犯罪を防いでいたんだ」 WO自体、世界共通の概念となって百年程度だ。 概念としては新しくても、onlyやotherの性をもつ人々は古くから存在した。そういう人々を助けてきたのが魔法使いに紛れたrulerだった。 「魔法使いの中に、rulerが……。そう言われると、しっくりきますね。onlyやotherのフェロモンもそうだけど、特にrulerのフェロモンは魔法みたいに感じるかもしれません」 晴翔の感覚は、割と一般的だ。 フェロモンを
「でも、俺と理玖さんをspouseにしたい理由って、何なんでしょう。本人たち以外に得する人なんか、いるのかな」 晴翔の純粋な疑問には、思い当たる節がある。「恐らく犯人は、rulerとotherをspouseにしたいんだろうと思う」 晴翔が難しい顔を向ける。 「rulerはspouseを得ても、その他大勢のotherに対してフェロモンの影響力を維持する。ただし、その性質は変化して、結果的に世間がいう|奴隷《servant》契約がonly以上に容易になってしまう」 spouseを得ればonlyもotherも互いのフェロモンしか感じなくなる。 今の晴翔は理玖のフェロモンしか感知しない。理玖も晴翔のフェロモンしか感じない。 だが、rulerである理玖のフェロモンは、その他大勢のotherに影響してしまう。 故に、他のotherから自分の身を守るため、SAフェロモンの催眠効果が高まりotherをtripさせる率が上がる。結果、servant契約がしやすくなる。(使い方の問題だ。本来はservantを作るためのシステムじゃない。身を守るシステムだ。だけど、できてしまう。できてしまうなら、使いたい奴はいる)「じゃぁ、犯人の狙いは、rulerである理玖さんを利用すること……?」「可能性は高いね。どう利用するつもりかは、わからないけど」 犯罪集団に加担でもさせたいのか。単純にrulerがspouseを得た場合の臨床データが欲しいのか。いずれにしてもWO関連の何者かである可能性は高い。「僕の噂を知っている人物なら、利用しようと考えるかもしれない。晴翔君は、僕の噂は、知っている?」 晴翔の顔が引き攣った。「……少しなら、知ってます。理玖さんがo
「詳しいんだね、晴翔君」 素直な感想が零れた。 晴翔は大学事務員で医療関連の職業ではない。卒業大学も理工系で、無関係に思える。「いや、その……。俺、筑紫大の理工学部卒なんですけど、自分がotherだから、卒論がそっち方面というか、WO関連で上げてて。医療についても、割と調べて」 何となく、慌てているような、しどろもどろしている。 恥ずかしいのだろうか。恥じる必要はないのに。「だから、理玖さんの論文も、実はかなり読み込んでます……」 晴翔が顔を赤くしている。 それはむしろ、理玖の方が恥ずかしい。(それはつまり、出会う前から僕を知っていたということで) 初めて会った時、御姫様抱っこをしてくれた時には、晴翔は理玖を知っていたことになる。あの時の晴翔に今のような恋心はなかっただろうが。(中途半端に有名人扱いとかしないで、普通に接してくれた) ただの一職員として接してくれたのが嬉しかった。 何となく、晴翔の手を握って包み込んだ。「えっと、こういう治験が流入してくるくらいだし、otherの興奮剤の治験とか、治験が無理でも、伝手さえあれば日本でも持ってる奴はいそうだなって思って」 晴翔が必死に話を戻そうとしている。 こういう晴翔は珍しいなと思いながら、理玖は考え込んだ。「正規のルートに紛れてotherの興奮剤が国内流入している可能性は、なくはないかもしれないね」 日本においては犯罪になるが、ことWOに関連した事柄は世界中の認識が甘い。加えて関連事業は開発を焦るから多少の無理もする。「弁当に興
「でも、もしかしたら、それが犯人の狙いだったのかもしれません」「どういう意味?」 晴翔が、報告書が入っていた茶封筒を取り出した。 中から一枚のメッセージカードが出てきた。『花は咲きましたか?』 理玖は目を疑った。 報告書の表紙と同じ毛筆体でプリントされた文字だ。まるで今の理玖と晴翔を予言した言葉に見えた。「さっき、封筒の中を確認している時に見つけました。偶然にしてはあまりにタイミングが良すぎて、背筋が寒くなります」 手が震えて、言葉が出ない。 息の吸い方がわからなくなって、呼吸が上手くできない。(花なんて、これじゃまるで、僕と晴翔君がWOだって知っているみたいな。こんなの……、僕と晴翔君がspouseになるのを望んでいるような) 震える理玖の手を晴翔が握って、後ろから抱きしめた。「理玖さんに負荷をかけてフェロモンを放出させて、otherの俺に襲わせようとしたんだと、最初は考えました。だけど、それだけじゃないかもしれない。犯人は俺たちをspouseにするのが目的だったのかもしれません」 弁当盗難の時も、理玖は晴翔のフェロモンに煽られて大量のフェロモンを放出して、自分が飲まれて倒れた。 今回も同じような負荷を掛ければ、今度こそ晴翔が理玖を襲うと思ったのだろうか。 襲われたとして、spouseになるとは限らないのに。「そんな、僕の気持ちも晴翔君の気持ちも、知っている人なんかいないはずなのに」 理玖と晴翔自身ですら、互いの気持ちを知らなかったのに。二人の気持ちを知ってる人物なんか、いるんだろうか。「それを確かめるための、弁当の窃盗だったのかなって、考えまし